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自己紹介の代わりに

2024.04.10
CALVIN
  • 歴史
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まず私の名字のお話をさせて頂きたいと思っております。

多くの漢字圏の外国人が日本で直面する課題の一例にすぎない。たとえば、「王」という姓は日本ではしばしば「おう」と読まれるが、これもまた誤りである。「ワン」や「ウォン」が正しい発音だ。このような誤解は、文化的な認識のギャップを示しており、私たちの個人的なアイデンティティに対する理解と尊重の欠如を浮き彫りにする。

日本に滞在している中で一番の違和感がつきまとうのは私の名字の呼び方です。私は「陳」という姓を持っている。しかし、日本で生活を始めてから、私の名前はしばしば「ちん」と発音される。(若い頃の余談ですが某有名なストリートファッションデザイナーに、笑いながらち◉このちんでしょう?とまで侮辱されたことがあります)

私が育った文化や環境では「チェン」または「チャン」と発音されるものだ。地域によっては「タン」となることもある。この違いは、ただの音の問題ではない。私のアイデンティティ、私のルーツ、そして私の文化を反映したものである。例えば日本人の大谷翔平選手でも、香港に行ったら広東語で「ダイゴッ チェゥンペン」と呼ばれたら、そもそも「自分の名前じゃない」という感覚しかないはずです。せめてMr. Ohtaniにした方がまだ名前が呼ばれていると思うじゃないでしょうか。

漢字の書き方が近いからと言って相手の名前を自国の漢字の発音で呼ぶことは、軽く言えば無知、重く言えば相手に対しての冒涜にも繋がると僕は思った次第です。

名前は、私たちが誰であるか、どこから来たのかを示す重要な一部である。それは、私たち一人ひとりの独自性と、私たちの家族が何世代にもわたって築き上げてきた遺産を象徴している。だからこそ、名前が正確に、そして尊重を持って発音されることは極めて重要なのだ。

私は、日本社会における外国人名の発音についての意識を変える必要があると強く感じている。名前を正しく発音することは、異文化間のコミュニケーションと相互理解の基礎を築く第一歩である。それは、私たちがお互いの違いを超えて共通の地平を見出す努力の一環だ。

この投稿を通じて、異なる文化的背景を持つ人々の名前を尊重し、正しく発音することの重要性を理解して頂きたい。名前は単なるラベルではなく、その人のアイデンティティ、文化、そして歴史を表すものだ。私たちが相互に理解し、尊重することで、より豊かで多様性に富んだ社会を築くことができる。

私たちは皆、正しく呼ばれることによって尊重され、価値を認められることを望んでいる。名前はその最初の一歩であり、私たち一人ひとりが持つ独自の物語の入口である。だからこそ、お互いの名前を大切にし、正しく発音する努力を惜しまないことが、互いの理解と尊重への道を開くのです。

次回は【陳】のルーツを少し話したいと思っております。

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