王佐の才、寂しく散る――荀彧の生涯

歴史文学を楽しむ理由は人それぞれだと思うが、私にとってのそれは、そこに漂う儚さと寂しさにある。
どれだけ才に恵まれていても、どれだけ志があっても、時代の流れには抗えず、やがて静かに消えていく――
そんな人物たちの姿に、どうしても心を奪われてしまう。
三国志といえば、戦の英雄や策士たちのドラマが真っ先に浮かぶ。だが、私がどうしても惹かれてしまうのは、「理想」と「現実」のはざまで揺れた一人の男、**荀彧(じゅんいく)**である。
彼は、後漢末から三国時代にかけて多くの賢才を輩出した地、以前のブログにも書きました自分のルーツと思われてる**穎川(えいせん)**の出身だった。穎川の名士たちは、戦の表舞台に立つよりも、学識と人格によって時代を支えた陰の立役者たちである。清廉で、礼節を重んじ、混乱の中でも理想を失わずに生きようとした彼らの姿には、どこか凛とした美しさがある。
その中でも荀彧は、とりわけ際立った存在だった。
理想を託した相手
荀彧は、名門・穎川荀氏の出身。若い頃から聡明で礼節を重んじ、名士として高い名声を得ていた人物だった。
時は後漢の末期。天下は乱れ、群雄が割拠する中で、荀彧は一人の男に目を留める。曹操である。
多くの者がまだ彼を「乱世の梟雄」と警戒する中、荀彧は言った。
「これは天下を安んずべき器なり」
そう言って、まだ無名に近かった曹操に仕官し、自らの理想を託した。ただ戦で勝つだけでなく、乱れた世に秩序と道義を取り戻す――荀彧が求めたのは、そんな政治だった。
曹操の“陰”を支えた人
荀彧は参謀としてだけでなく、当時の名士たちを次々と曹操のもとに引き入れた。郭嘉、鍾繇、荀攸……魏の屋台骨を支える人材たちは、荀彧の人望と信頼によって集められた。
政治においても、軍略においても、曹操の背後にはいつも荀彧がいた。だが、年月が経つにつれて、曹操の心は変わっていく。
ただの丞相では満足せず、「魏公」へ、さらには「魏王」へ。荀彧は、曹操の野心が「漢王朝の復興」から「曹氏の覇道」へ傾いていくのを、静かに見つめていた。
すれ違う信念
ある日、曹操が「魏公」の地位を望み、臣下たちに支持を求めた。そのとき、荀彧は強く反対する。
「漢室のために戦ってきたのではなかったのか」
荀彧は何通も諫言の書を送り、曹操を思いとどまらせようとした。だが、曹操はそれを退け、逆にこう言って彼に空の器を贈った――
「お前には、もう役目はない」
これは文字通りの“空器”、すなわち“もう中身は要らない”という意味のある贈り物だったとも伝わる。荀彧は、深く傷つき、そしてその翌年、静かに病没する。
享年五十――あまりに早い、そしてあまりに寂しい終わりだった。
潔さという強さ
荀彧の死に際して、曹操は一切の追悼の言葉を口にしなかった。だが、彼が誰よりもその存在を認め、誰よりも苦々しく思っていたことは間違いない。
現実に迎合せず、信念に殉じた文人。時代のうねりに抗いきれなかった、誠実な一人の政治家。
荀彧の生き方は、たしかに時代に取り残されたかもしれない。けれど、だからこそ今の時代にこそ、改めて胸に響くものがある。
三国志の注釈者・裴松之は、荀彧に対してこう記しました:
「彧之始也以忠義進,終以忠義退,何其終始之美也!」
「荀彧は初め忠義によって仕え、最後も忠義によって身を引いた。その始めから終わりまでの美しさ、なんと見事なことか。」